KATCATの巣

ふしあわせという名の猫がいる-だから私はいつもひとりぼっちじゃない

歴史学を学んだこののない人間による「歴史学」とはなにか

 

 二年前にこのブログの『歴史の楽しみ方の2パターン』で、歴史の楽しみ方を「歴史学好き」と「歴史物語好」に分けました。

 

 この分け方を元に、このブログの半月前の記事『歴史を学んだことのない人間による「歴史」とは何か』で歴史を「歴史学」と「歴史物語」に分けました。

 

 そして『「歴史に学ぶくらいならワンピースを」日本史学者・呉座勇一の警告』を読んだ際の問題提起として、呉座先生は「歴史=歴史学」と扱っているが、世間一般では「歴史=歴史学+歴史物語」もしくは「歴史=歴史物語」と認識しているので、それが誤解を生じているのでいるのではと推測しました。

 

 ここまでが前回のおさらいです。

 

 ところでです。歴史を「歴史学」と「歴史物語」に分けたのはいいですが、「歴史学」って何ですかね?

 世間一般では「英語のhistorystory語源が同じ」という俗説が流れているように、「歴史=歴史物語」と認識して「歴史学」を認知していないケースすら見られる状況です。

 呉座先生は「歴史学の手法をぜひ知ってほしい」と語っていますが、それ以前に世間一般では「歴史学」を認知していないケースすら見られる以上は、「歴史学」とは何かから始める必要があるのでは?と思ったわけです。

 

 僕は二年前に歴史の楽しみ方を「歴史学好き」と「歴史物語好き」に分けました。でしたら「歴史学」とは何かを説明できるだろと言われそうですが、正直なところ全く自信がありません。

 この記事の題名のとおり僕は歴史学を学んだことがありませんし、このサイトで何度か書いてある通り「歴史物語好きだが、より深く物語を楽しむために歴史学にも手を伸ばしている」人間です。

 そのような人間が歴史学について書いても、正解をかけるはずがありません。それでもそのような人間が「歴史学」についてどのように理解しているかを書けば、少しは「歴史学」に対する理解の手助けになるのではと思い書き始めました。

 

 

 僕が歴史学をどのように考えているかというと「本当かどうかを疑う事」と「確かな証拠を提示する事」の二つに分けれると考えています。

 

 

 まずは「本当かどうかを疑う事」について。

 僕が中学に入学したときに数学教師が小学校の算数と中学校からの数学の違いを語った事があるのです。

 算数とは「1+1=2」が分かる事で、数学は「1+1=2」が本当なのかを確かめる事と最初に話し始めました。

 この話を聞いた時には僕は「1+1=2なのは当たり前なのに何を言っているのか?」とこの教師の言っていることを小馬鹿にしました。

 そのあと教師は、「1/3 = 0.3333・・・・・」と、習ったはず。

そして「1/3 × 3 = 1」と算数で習ったはずだ。しかし「0.3333・・・・・ × 3 = 0.9999・・・・・」と1にはならない。「1/3 = 0.3333・・・・・」と同じ数字のはずなのに答えが違うのはなぜかと、それを確かめるのが数学だというのです。

 

 その数学教師が言ったことと、歴史学も一緒だと思うのです。たとえば通説で「1192年鎌倉幕府成立」だったのですが、それが事実かどうかやその理由や解釈が本当に適切かどうかを確かめた結果「1185年に成立」になったり、「1180年」説が出てきたりするわけです。

 この場合は歴史学的には「いつ、鎌倉幕府が成立したか」よりも「なぜ、この時に鎌倉幕府が成立したと考えるのか」と、「いつ」よりも「なぜ」が大切なテーマだと考えます。

 

 

 次は「確かな証拠を提示する事」について。これについては、永井豪『闇の宴』より学者の小松和彦先生と漫画家の永井豪先生の会話を抜粋します。

 

小松和彦先生(学者)「作家はいいですね。作家は想像でものを言えるから。学者はそうはいきません」

「確かな証拠がないことは言えません。それが学者の研究というものです」

「たとえばAという証拠とCという証拠があるとすると、間をつなぐBはこれこれこうなるというわけにはいかないんですね。Bに証拠がなければそれは推測に過ぎないわけです」

「どんなにBしかないと思っていても、証拠を提示できなければ学説になりません」

 

永井豪先生(漫画家)「なるほど、学者ってたいへんだなー」

「その点、作家は推測や想像でものを言うのが商売のようなもんだよね」

「つくづく自由だ」

 

 学者と漫画家の二人の会話が、僕が歴史を「歴史学」と「歴史物語」にわけた大本の源流であり、「歴史学」とは何かと考える大元なのです。

 

 これを読むと歴史学は窮屈でつまらない物だと思われるかもしれません。しかし「歴史物語好きだが、より深く物語を楽しむために歴史学にも手を伸ばしている」人間なので歴史学の本質に触れたことがないのですが、それでも歴史学は面白いと思います。

 

 ただし歴史物語とは面白さの質が違います。歴史物語の面白さが永井豪先生がいうとおり推測や想像でものを言うイマジネーションの面白さだとしたら、歴史学の面白さはパズルのようにピースにあう証拠を少しづつ埋めていくロジックの面白さだと思います。

 

 

 このように歴史学とは「本当かどうかを疑い」そして「確かな証拠を提示する事」だと理解しています。

 

 というか8月に読んだ記事を読んで、「そもそも歴史学とはなんじゃらほい」と自分の中で整理を開始したことから書き始めた記事なんです。

 しかし書きながら「歴史学を学んでいない僕が、歴史学を語るって傲慢だよな」とか「そんな僕が歴史学について語っても、間違いである可能性が高いよな」とか思っては筆を止めたり。

 「でも歴史学って、いったいどういう事を指すのか世間一般で理解されていない感があるよな」とか「それについて歴史学な人々に語ってもらいたいけど、それどころか歴史=歴史学で語ってしまい歴史物語な人々に喧嘩売ってしまっているよな」という思いで「だったら少しでも間を取り持ちたいな」と思いまた書き始めたり。

 そうこうしているうちに4カ月が過ぎて何とか書き上げました。断続的に書いたものだから、文章がちぐはぐになっているし、もうアレですが少しでも間を取り持ち出来たらいいなぁと思いつつ、終了。