KATCATの巣

ふしあわせという名の猫がいる-だから私はいつもひとりぼっちじゃない

歴史物語がつまらないからといって、考察批判をしないほうがいいと思う理由をいくつか

 

 僕は「歴史物語好きだが、物語をより深く楽しむために歴史学にも触れている歴史好き」です。

 歴史好き、歴史学好き、歴史物語好きという分類は僕が勝手に行ったものなので詳しくは

を読んでください。

 

 そのような僕にちょくちょく聞こえてくる歴史学好きの発言に「歴史好きが考察批判を行うのは、その物語がつまらないから」というのがあります。

 確かに物語がつまらないと些細な歴史考察の粗がどうしても気になってしまうというのは、歴史物語好きである僕でもあることです。

 それ以前に「歴史」物語を作る以上は歴史にこだわってほしいというのは、歴史物語好きである僕にとっては当たり前のような要求なのです。

 

 しかしそれでもです。歴史物語がつまらないからといって、それを理由に考察批判をするのはやめたほうがいいと前から思っていたので、その理由をいくつか挙げていこうかと。

 

その1、物語の面白さは一つではない

 具体的な例を挙げればNHK大河ドラマ篤姫』。歴史好きからの評価は低いですが、高視聴率でした。もうこの作品を挙げるだけで歴史好きの評価だけが面白さの基準でなないわけです。そのような中で「その物語がつまらないから」と言われても一方的な視点でしかないのです。

 

その2、「物語の面白さ」と「歴史考察」は別問題

 世の人たちがそろってツマラナイと評価する歴史作品があったとします。その場合でもやはり歴史考察批判を行うのは悪手だと考えているのです。

 その理由は歴史作品の物語がつまらないのは単純に物語がつまらない場合が多いからです。なのでここで考察批判が反映された作品になってもつまらないままだからです。

 このように物語がつまらないからといって考察批判を行っても、はたから見たら何の役にも立たないアドバイスでしかないからです。

 なんの役にも立たない、ならまだいいのです。物語がつまらない原因なのに、わざわざ問題を歴史考察にすることで、まるで歴史がつまらない原因と思われてしまう可能性すらあります。

 実際に「考察のこだわり過ぎが原因で面白くなくなった」という批判はよく見聞きすると思います。

 

その3、史学棒で殴るな

 上ですでに挙げていますが、「物語の面白さ」と「歴史考察」は別問題です。もうちょっと付け足しますと「物語の面白さ」は主観的で「歴史考察」は客観的なものだと考えています。

 そして主観的な「物語の面白さ」を客観的な「歴史考察」で殴るのは、悪い印象を与えてしまうのではないのでしょうか。

 違う部分も多いのですが、私的領域の部分まで公的なポリコレ棒が振るわれている様子を思い浮かべたら、歴史物語を史学棒で殴る悪印象を想像できるのではないのでしょうか。

(個人的にはポリコレ棒という単語は好きではないのですが、歴史クラスタの間で学問棒という単語が流行っったことがあったのでたとえ話にいいかと利用していました)

 

その4、「その物語がつまらないから」って嘘だよね

 よく歴史学好きが考察批判する対象に、司馬遼太郎作品と塩野七生作品があります。

 司馬遼太郎作品と塩野七生作品、面白いですよね。多くの考察者が「作品は面白いけど」と前置きしてから歴史考察を行っていますよね。「歴史好きが考察批判を行うのは、その物語がつまらないから」じゃなかったのですか?

 それとも司馬遼太郎作品と塩野七生作品が面白くないとでも?

 いやまあ、歴史学好きが批判するのは司馬遼太郎作品と塩野七生作品が嫌いだからではなく司馬遼太郎個人と塩野七生個人に対する恨みでもなく、作品の愛読者の一部に「司馬先生はそんなことは言っていない」と歴史学に噛みついてくる厄介さんがいるからなので、その点で歴史学好きを非難するのはアンフェアだとは自分でも思っていますよ。

 だからこそ余計な言い訳は墓穴を掘るだけだからやめたほうがいいんじゃないですか。

 

 

 

 

 以上が歴史物語がつまらないからといって考察批判をしないほうがいいと思う理由でした。面白さなんて曖昧な根拠で批判するしないを判断するのも問題ですし、物語がつまらないという問題点を歴史が原因にとらえかねないし、傍から見たら悪印象だし、そもそも「面白くないから」って理由自体が誤魔化しだという事です。

 

 最後に歴史好きは歴史考察をしたらダメと言いたいわけではない事を話させてもらいます。

 僕は「歴史物語好きだが、物語をより深く楽しむために歴史学にも触れている歴史好き」なので歴史物語に触れたら物語はもちろん、歴史考察も楽しんでいます。

 ですが「歴史好きが考察批判を行うのは、その物語がつまらないから」という言動は歴史に対して悪印象しかないからやめたほうがいいと言いたいのです。物語がつまらないなら考察批判を行うのではなく、素直に「物語がつまらない」と言えばいいのです。

 そして物語の面白さとは別に、歴史考察を楽しめばいいのです。つまらない物語を叩くために考察を行うのではなく、歴史を楽しむために考察したほうがいいと考えるのです。

 

(歴史のそして物語の楽しみ方は人それぞれなので断言的な言い回しは避けようと思っていたのですが、最後はなんか断言的になってしまいました。ごめんなさい。でも書き直すの面倒くさいのでそのままにしておきます)