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KATCATの巣

ふしあわせという名の猫がいる-だから私はいつもひとりぼっちじゃない

歴史物語に「史実では~~」と言い出す理由

 

 本当なのか都市伝説なのかハッキリしませんが、歴史学者歴史学について講演したら「貴方の話は司馬遼太郎先生と違う、もっと勉強しなさい」だとか、「大河ドラマと違う、天下のNHKが嘘をついているというのか」だとか言われたという話がよく聞こえます。

 

 いくらなんで学者に対して歴史創作物を持ち出して上から目線で説教する人はいないと信じたいのです。

 しかしツイッターでNHK大河ドラマの歴史考察の方に「この時代に○○があるはずがない」と上から目線で説教して「××という史料に出てきます」と軽くあしらわれた人を見たことがあるので、いないと言い切れないところが辛いです。

 

 そうでなくても昔の上司が百田尚樹の小説を史実として教育論を語るタイプだったので、正直辛かったのをよく覚えています。

 

 

歴史の楽しみ方の2パターン

 

 僕がブログにこのような記事を書いた理由の一つがこのような事をけっこう見聞きしているからなのです。基本僕は歴史物語好きなので、司馬遼太郎塩野七生を馬鹿にする歴史学好きを見ると「またか」と思って舌打ちしたくなってしまうのですが、このような現状を考えるとしょうがないんですよね。

 

 フィクションである歴史物語を読んで「史実では~~」と言い出す歴史学好きを「物語と学問を混合するな」と嫌う人は多いです。

 が、別に歴史学好きが混合しているわけではなくて、逆に物語と学問を混合している歴史物語好きが多々いて迷惑をこうむっているためにその予防策として「これは史実ではなくて、あくまで物語ですよ」と発言しているわけなのです。

 

 歴史小説歴史学を語りたがる人には、娯楽ではなく教養として歴史小説を読む人に多いと感じます。物語を通して歴史の概要を知ったり、あるいはさまざまな逸話を知ることは教養の一つかもしれません。が、それは歴史学としての教養とは別のものである。そのことを理解してもらえたらなと思います。

 

 あと歴史学者も人の子。自分の専門分野以外では意外と歴史学としてはダメだしされた物語としての歴史を語ったりもしています。なので歴史物語を歴史学と混合すること自体はそれほど恥ずかしい事ではないですよ。という事も付け足しておきます。

 ただ、歴史物語の知識で歴史学にマウンティングする事は、大変恥ずかしい事ですよ。

 

 これでもう少し歴史「物語」好きと歴史「学」好きが仲良くできたらいいな。そして歴史好きの間に流れる空気がもう少し居心地がよくなってほしいなという祈りを込めて、以上。

 

 以上と書きましたがもう少しだけ。先ほど歴史学好きが物語を読んで「史実では~~」と言い出すのは、歴史物語好きへの予防策と書きました。

 

 ですがその様なことを言い出すのは予防策の為だけではないのです。歴史物語を見ながら、自分の歴史学の知識を語るのが楽しいからなのです。

 ミステリ好きが推理小説を読みながら自分の推理を語ったり、SF好きが作品に出てきた超科学のギミックをいろいろと推測したりと、あるいは仲間内でそのような話を語りあったりするのが好きなように、物語を見ながら自分の知識との答え合わせをしたり仲間と語りあったりするのが楽しいからなのです。

 

 僕は歴史物語好きですので、このような場面に出くわしたらたまったものではないという気持ちは理解できます。ですが、彼らは敵意があったりあるいは物語と学問を混合しているわけではないのです。ただ楽しいから行っているだけなのです。

 

 彼らの行為がこのような好きな事を目を輝かせて語る子供みたいな動機だと理解したら、ほほえましく感じませんか? やはりウザいですか。ごめんなさい。