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KATCATの巣

ふしあわせという名の猫がいる-だから私はいつもひとりぼっちじゃない

アニメ『がっこうぐらし』最終話まで その2 

アニメ『がっこうぐらし』最終話まで観ました。

 

各話ごとの感想がある場合はツイッターで、視聴が終わって最後の感想はブログでと使い分けているのですが、この手の作品をツイッターで感想を書くのはふさわしくないと考え、今回はブログに感想を書くことにしました。

 

今回は最終話に感じたことを書いています。

 

ネタバレ防止と愚痴が多いので、折りたたみで対応しています。

 

 

 

 

 

 

 

屋上の設備が壊れて停電になっている中、どうして放送設備が使えたのかな?非常用電源が作動したのは地下の避難区域って放送していなかったっけ?

 

とか思いつつも、きっと放送設備は重要な部分として非常用電源で対応していたんだろうと、このような細かい部分はとりあえずは自己解決していくことにしました。

 

ですがメインの一つ、「下校時刻の放送」でゾンビの皆さんが帰宅してしまったのは、なんか納得できないのです。

 

なぜ納得できないのかいろいろ考えて見ました。

 

「下校時刻の放送」でゾンビの皆さんが帰宅してしまうための条件として

1)ゾンビの皆さんは音に反応する

2)ゾンビの皆さんは日常生活のパターンを繰り返している

の二つがあげられるのですが、この二つはきちんと作品内で提示されていました。

 

しかしその提示の仕方は

1)音に反応はするものの、ピンポン玉や防犯ブザーなどに対して動物的な反応が提示されており、音を理解しての反応と思えるものが提示されていませんでした。

2)日常パターンの繰り返しについては夜になったら学校から出て行くことや雨が降ったら校舎に戻りたがるという自然環境の変化が原因による繰り返ししか提示されておりました。

 

このようなわけで、音に反応することは提示されていても音の意味を理解していることは提示されておらず、日常パターンの繰り返しについても自然環境の変化が原因であることのみで音がパターンのスイッチになることが提示されておりません。

 

そのために「下校時刻の放送」という音の意味を理解してその音をスイッチに帰宅してしまうというゾンビさんの行動が、唐突なものに思えてしまい納得できなかったのだと考えます。

 

「説明がない」というわけではなく「説明不足」だったために納得できなかったのだと考えます。

 

最後になりますがアニメ『がっこうぐらし』を視聴した総まとめを。

 

僕の視聴方法が叙述トリックを前提に違和感のある部分を元にあれこれ推測していくというスタイルをとりました。そのために違和感のある部分がまだまだたくさんあり重箱の隅をつつくような結果になったのは残念です。

 

「下校時刻の放送」による解決というアイデアはとても面白いと思います。このような一軒変哲も無いような解決方法が示された作品は大好きなのです。これが短編小説だったら素直に楽しめたのではとも思います。
 
前回に散々愚痴った叙述トリック部分についても、そのような演出方法が大好きなのです。
 
散々愚痴っているくせにと言われそうですが、それでも大変楽しく視聴できました。