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KATCATの巣

ふしあわせという名の猫がいる-だから私はいつもひとりぼっちじゃない

アニメ『がっこうぐらし』最終話まで その1 仕掛けのフェア性について 

アニメ『がっこうぐらし』最終話まで観ました。

 

各話ごとの感想がある場合はツイッターで、視聴が終わって最後の感想はブログでと使い分けているのですが、この手の作品をツイッターで感想を書くのはふさわしくないと考え、今回はブログに感想を書くことにしました。

 

今回は第1話第6話にあった仕掛けの要素について、いろいろ思ったことです。

 

ネタバレ防止と愚痴が多いので、折りたたみで対応しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前にも書きましたので繰り返しになりますが、僕は原作を読んでおらずおためし感覚で第1話のを視聴し、そこでの「仕掛け」が気に入ったのでそのまま視聴することになりました。

 

その「仕掛け」の名称自体がネタバレになりかねないので伏せてきましたが、「叙述トリック」の事です。

 

叙述トリックが気に入ったので第2話以降は、ちょっと気になるところが出てくると「もしかして叙述トリックのための仕掛けかも」という視点での視聴方法となっていったのです。

 

ところがです。そのような視点で視聴していくと、楽しめたはずの第一話の仕掛けが邪魔になってきたのです。

 

第一話の仕掛けが作動した後に学校の校舎の現状が提示されたのですが、校舎の劣化が激しすぎませんか?あの劣化具合からすると事件が起こってから数十年が経過していても不思議ではないのでは?と、どうしても考えてしまうのです。

 

そこらへんは「あくまで視覚上の演出効果をねらったもの。映像作品として仕方ない」と処理して視聴を続けることとなったのです。

 

そのように視聴を続けていたら第6話で第二の叙述トリックが明かされたのです。

 

その叙述トリックについて僕のツイッターのTL上で「エンディングで置いてある皿までも一緒に消えていったのはやりすぎで、もはやギャグになってしまった」という呟きが流れてきました。

 

(あとから感想で使えると思ってお気に入りに入れていたつもりでしたが、見つかりませんでした。なのでどなたが呟いたのかも分かりませんし、正確な引用でもないです。御免なさい)

 

実はこのシーン、僕も気付いたのですが「校舎と同じ。あくまで視覚上の演出効果を狙ったもの」として処理していたのです。

 

ですが、「やりすぎで、もはやギャグ」と判断した人の感情も理解できるのです。

 

なぜならミステリ作品とは作者が考えたトリックに読者が挑戦するという、パズル的・ゲーム的な要素が強い作品です。

 

パズル的・ゲーム的な要素が強い以上、なんでもありではつまらなくなってしまいます。そのためにルールというほど強い規制ではありませんが、著者に公平性やフェアプレイが求められるジャンルなのです。

 

たとえばミステリを書く際のルールによく「ノックスの十戒」があげられます。この十戒自体は必ず守らないといけないものではなく、(著作を読んでいないので詳しくは分からないのですが)ノックス自体がこの十戒を破っているようです。

 

しかし今でも「ノックスの十戒」があげられるのは、「ミステリ作品は公平性やフェアプレイに気をつけよう」「このような要素を含むと読者にアンフェアだと判断され作品が面白くなくなる可能性が高いから取り扱い注意だぞ」とミステリ作品に携わる人たちに必要な心構えとして有効だからだと思います。

 

そして叙述トリックは特に公平性やフェアプレイが求められるのです。なぜなら普通ミステリは「作中で犯人が探偵にトリックを仕掛ける」のに対して、叙述トリックは「著者が読者に対して直接トリックを仕掛ける」作品だからです。

 

このようにより強い公平性とフェアプレイがもとめられる叙述トリックで、そこにあると提示された皿が無かったことになった。

 

それに対して僕は「視覚的演出の範囲内」と判断し、ツイッタでの人は「やりすぎだしもはやギャグ」と判断したわけです。

 

どちらが間違っているという問題ではなくてどのような視聴態度で作品を観ていたかの違いだと思います。しかしながら叙述トリック作品への態度としてはツイッタでの人がより真面目に作品を視聴していたとも言えと考えます。

 

そこがミステリ作品の面倒くさい点であり面白い点でもあるのだなぁと妙な関心をしてしまいました。

 

と、ここまで偉そうにミステリや叙述トリックのの心構えだとか書いてきましたが、僕は気になるミステリがあれば読んでいますが、決してミステリにどっぷりはまっているマニアではないのです。

 

なのでミステリの、叙述トリックの公平性・フェアプレイのラインがいまいちよく分かっていないのです。

 

例えば昔は叙述トリック自体がありえない邪道な手段だといわれていた時期もあるようです。しかしながら今では叙述トリックもミステリの一ジャンルとしてしっかり根付いています。

 

ラインは時代とともに移動しているのです。

 

また、映像作品は叙述トリックは出来ないといわれていました。今では叙述トリックを使った映像作品が出てきていますが、それでも難しいといわれているジャンルです。

 

どのような作品かによってもラインは移動してしまうと思うのです。

 

先に述べたとおり、叙述トリック作品としての態度としてはツイッタでの人の方が真面目だと思いまが、僕もいい加減な態度で視聴していたわけではなくて「難しいといわれる映像作品で、この程度なら視覚演出効果の範囲内」と判断したのです。

 

しかし僕はミステリにどっぷりはまっているマニアではないので、今時点での公平性・フェアプレイのラインがわからず自分の判断に不安になったりするのです。

 

そもそもが万人に納得でいるラインは引けないことは理解しています。しかし今でもノックスの十戒」があげられるように、映像作品での叙述トリックの公平性・フェアプレイを分けるラインは例え灰色部分が広くてもあるからこそ楽しめる面もあると思うのです。

 

なので僕は、ミステリに始めて触れた人、ミステリに興味はあるけど軽く触れる程度の人、ミステリにどっぷりはまっている人、さまざまな人たちの「がっこうぐらし」にでてきたミステリ・叙述トリック要素をどのように感じたのか感想を読んでみたいと思いました。